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今、世の中を導くはずの政治家などに、大物がいないと言われています。それは、いったいなぜでしょうか。世の中を導く人は、自分の為の利害得失から判断するのではなく、世の中全体の大きなところから物事を見て、判断し、進めていかなければなりませんが、それが出来る人がほとんどいらっしゃいません。

それとはまったく相反する社会の風潮や教育そのものが、「自分さえ良ければいい」「出世できればいい」「金儲けが全て」という風潮を生み、それが知らず知らずに人の土台となってしまっているからです。

しかしそれと同じくらいに、いやそれ以上に、世の中に大物がいないのは、実は人の出産の時に原因があるのです。一般に、子供さんがお母さんのお腹の中にいるのは、十月十日といわれます。しかしそれを超えて、遅れて産まれてくる人がいます。十月十日よりも長い間お腹にいる人は、特別の役目を貰っています。これは、産まれてくる直前に与えられるのです。

胎児のときに、まず一番先に入るのは、人の世界に生まれて、生きていけるかどうかという肉体的なものから揃っていきます。ですから非常に体重の少ない人でも、生きていけると言うのはそこにあるのです。しかし生きて行くのがやっとですから、天命であるとか役目と言うのは、その人の中に入っていないことがあります。なぜかと言ったら、そうしたお子さんは、大体十月十日お母さんのお腹の中にいないのです。ほとんどの場合は、それよりも早い時期に生まれてしまっているからです。

やっと十月十日近くになって、その人の天命に必要なものが入っていきます。たとえば音楽家になる天命としての方なら、人より優れた音感や他の人では聞き分けられないような音の聞き分けなど、ただ耳が聞こえるというだけでない素養が入っていきます。それと同時にその人個人の天命としてのものが入っていきます。

さらには生まれた家筋であるとか、長男として家の跡取りとしての役目などが入っていきます。はじめの子は、お産の道がついていないから、予定日より遅れると思われていますが、それだけではなく家の跡取りとしての役目が入る分だけ十月十日よりも遅くなるのです。

今は、子供はみな平等だという育て方をし、そして財産分与なども法律的には均等に相続することになっていますが、先祖からのお墓やお位牌などを受け継ぎ、家筋としての後を取る役目というのはあるのです。

それ以上超えた人が、地方公共団体を導く役目をするとか、国家を担う役目をするとか、人類を導く役目をするという方が、現れることになっているのです。

ところが「十月十日の予定日だから、薬で出してしまえ」とか、「もう二、三日したら俺ゴルフに行って遊ぶのだから、その日になったら困るよ 先に出しておこう」ということをするわけですから、この特別の役目を貰う人を、全部お産のときにその天命が入らないまま生まれてしまっているのです。

そうすると神様が、「その人に、この国家を救えという役目を与えよう」としていても、みんな途中で出されてしまうから、神様のほうが大変にお困りになっておられるのです。この人に託そうと思ったのに、また産婦人科が出してしまう。次誰にしようかということで、何年も掛かっているのが現状です。

本当に国家を救うような子供さんを世に送り出して欲しいなと思います。

今から若い方々はこういう意味で、絶対に十月十日以上、自然出産をさせてくださいと言って欲しいのです。産婦人科の人は、「もう十月十日になるから、もう二、三日前だからいいだろう」といっても、「駄目です」と言わないといけないのです。妊娠期間の後になればなるほど、大事な役目が入るのです。そこのところを絶対に忘れないで頂きたいのです。
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今年は、「天命」を主テーマに、講演会のお話しをしていますが、「私の天命は何でしょうか?」と言う前に、「人として生まれた天命」について考えてみたいと思います。この世の中には、人間の他に、たくさんの動物や植物などの生き物が誕生しています。

何でも遺伝子などの部分では、人も動物も、植物もあるところまではかなりの共通点があるそうですが、自分は今人として生まれてきているのを当たり前と思わないで、人として生まれてきた意味を改めて考えて見て頂きたいと思います。

「人は、万物の霊長」と言われますね。ではなぜ万物の霊長と呼ばれるのでしょうか。

その前に、歴史教科書の記述を巡っていろいろな議論が出されています。近年の歴史の捉え方では、いろいろな意見に分かれるようですが、「人類の始り」に関しては、「人類は、サルから進化した」と言っていないでしょうか。

私は「先祖供養をしなさい、敬神崇祖ですよ」と言っています。「神様を敬い、ご先祖を崇めなさい」と皆さんに言っていますが、先祖がサルでは崇められますか。動物園へ行って、「ご先祖様」と言って手を合わせられますか。

人類はサルから進化した、誤解も良いところです。何故違うかということを良く抑えて欲しいのです。人として誕生した、その本質のところから見て下さい。

要するに神様は、何の為に人を作られたのか。神様は自分で何事もしようと思えば出来るのだけれども、しかしそれは霊的なものです。神様のされるのは霊的なものです。ですからそれを現物のものとして作るために人をお作りになったのです。だから建物を作るにしても、霊的に作ることは出来るけれども、現実に建物として作るには、人の手を借りたい。そこで人を作る事を思い付かれた。

その時に何をされたかというと、『霊成型』というものを作られたのです。これは、昔はいろんな物を作る時に『鋳型』というものを作ったのです。例えば粘土の様なもので、その中が壺になるようなものを作っておいて、その中に熱いものを流して行く。鉄製のものであれば鉄をその中に溶かして入れるというふうな形で、容器を作る時などはこういう鋳型というものを作ったのです。ここで神様は霊成型というものを作って、それで人を作ったのです。そして人の形が出来た時の最初の出来そこないがサルなのです。ここには神様の霊魂を籠めることは出来ないと言って、神様が去って行っていかれたので、去る=サルというのです。

そしてもう一度作り直して今度は人が出来たから、その人のところに初めて神様はご自分の霊魂を分け入れたのです。それで「分け御霊」或いは「ご分霊」と呼んでいるのです。

皆さんにも、分け御霊としてのご分霊があります。だから自分を大事にしないとご分霊に失礼になります。ご分霊とご本体である高天原の神様との霊魂どうしを合わせると、物凄い力が出ます。それが皆さんが神社に参拝をする意味なのです。

 だからこそ「人は、万物の霊長」というのです。

従って、神様は自分の現実のものを作るものとして人を作って下さったのだから、その人が生活出来るようにという事で、動物・植物・鉱物、全て人が生きて行くために必要なものを作って下さったのです。植物のものには食べられるものもあれば、見て美しいなぁと鑑賞するようなものも含んで、全て人の為に作って下さったのです。その人の為に作ったものは、これは次々と進化をするのです。だけど人は進化しない。最初から完全なものとして作ってくださったのだから。
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