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一歩家から出ると、いたるところに危険がある。

自分の意志でなくても、交通事故や通り魔などに会わないとも限らない。昨年は、小さな子が誘拐されて殺されてしまう事件も相次いだ

いったん家から出た家族が、安全に、そして元気で過し、帰ってきてほしいという思いがこもった言葉が「行ってらっしゃい」ではないだろうか。その言葉だけで、子供や家族がすべて守れるとは言わないが、口先だけで背を向けたままそっけなく言うのと、玄関まで見送る、または見えなくなるまで見送るのとでは、家族が込める目に見えない「守りのベール」は違うのである。

私の母は、「行って、お帰り」と言って毎朝玄関まで送ってくれていた。「行ってらっしゃい。そして元気で帰っておいで」の略だと思う。それは大人になって故郷に帰省し、東京に戻る日にも、玄関まで出て、ずっと掛け続けてくれている言葉である。

一歩外に出ると何があるかわからない世の中だからこそ、「行ってらっしゃい」そして「行ってまいります」の一言を大事にしたいものである。

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「言葉には、魂が宿ってる」と言うと、初めての人は不思議に思うだろうが、人の心を生かすも殺すも、言葉の持つ力が大きい。

その人を立ち直らせた一言、人生の分岐点になった一言、今までの関係が決裂してしまった一言・・

どうせならば「いい言葉」を使って人生を開いていこう。お世辞を言うのではない。お世辞は心にもないことを言うことだ。

言葉が、「言霊 ことだま」として力を持つのは、思いと言葉が一致したときだ。

ところが人は、けなすとき、怒った時に相手を責める言葉は、本心そのままの言葉をストレートに言うが、最愛の自分の家族であってもほめるときには、どこかてれたり口先だけで言うことが多い。

けなすときには、顔にまで本心が出て「お前はなんて駄目なやつなんだ」「この根性なし」「この甲斐性なし」「なんてあなたは出世が遅いの」と、相手に投げつけている。それも繰り返し言うほど悪い方の効果も大きく、本当に根性なしになってしまう。

閉じこもりが何十万人といると言われるが、そのほとんどは家族、特に母親の無神経な一言から始まっていることが多い。

何よりもの禁句は、「お前なんか生むんじゃなかった」とか、「お前なんかいらない」という一言だ。言った方はさほどに思わなくても、言われた方は全人格を否定されるのだから、魂にまでグサリと刺さるのである。

言葉はその場で消えてなくなるように思うだろうが、言われた相手の心の中にしっかりと残っている。それを消すことは出来ないが、上から「心からのいい言葉」を重ねていくことで変えていくことが出来る。

すでに相手の心が冷えて閉じてしまっているときでも、根気よく明るい言葉、心からのいい言葉をかけていくことで、心がとけて通い合うことが出来るようになるのだ。

挨拶をケチる人がいる。まるで「自分から言うと損をする」かのように思っている人が多いが、朝の挨拶は「先にした方が、勝ち」である。



「おはようございます」と、率先してさわやかに言う時、自分の身体の中の気が巡りだすだけでなく、相手の気も巡らせる力を持っているのだ。


昔から「言葉には霊魂が宿っている」と言われ、これを『言霊(ことだま)』と言って、万葉集の中でも、『言霊の幸ふ国』とか、『言霊の助くる国』と詠まれてきたのである。



まず起きたら家族に、そして近所の人に、会社でも学校でも、席に就くまでに会うすべての人に、挨拶をしてもいいのではないだろうか。


一人暮らしの人は、朝起きたら、鏡に向かって、自分自身に向かって言ってもいいのだ。



誰もいなくても、出かけるときには「行ってきます」と言い、帰ってきたときには「ただいま」と言うことだ。誰もいないはずなのに、家がちゃんと応えてくれるのだ。



挨拶は、陽の気だ。陽の気が集まるところに、開運の道は開かれる。神様は、明るさ、人を思う暖かい心のあるところに、やってきてくれるからだ。『笑う門には福来る』と言うのも、笑顔のところに神様が来られるからだ。だから、本当は『笑う門には神来る』なのだ。


『笑顔で挨拶』が、一番の幸運を呼ぶ秘訣である。


朝の大事さを伝えることわざに、「早起きは、三文の得」、「日の出の勢い」などがある。

そのくらい朝には、一日を動かす大事な力が満ちているのだ。

それを受けて一日を始める人と、それに背を向けて一日を過す人とでは、人生の間には大きな差になって現れる。

朝の力を自分の中に取り入れる三要素は、

1. 朝日を浴びる

2.        窓を開けて、空気の入れ替えをする


3.        「おはようございます」とさわやかに挨拶をする


である。

特に朝日は、仮に睡眠不足の時でも、活力が入るほど大きな力を持っている。

まず朝日に手を合わせ「おはようございます」と挨拶し、軽く手を広げて10分くらい浴びよう。毎日積み重ねていくうちに、人生が変わるはずだ。

病気の人は、窓越しでもよい。ある人は原因不明の膠原病で入院中、立つことも出来ない状態だったが、ベットごと窓際に移動してもらい、はじめは寝たままで手先足先のみ浴び、そのうちに数分ならばベットに座れるようになり、やがて数分ならば立つことが出来る状態に変わっていき、退院することが出来た。

全快したのは、朝日だけでなく、他にも色々な要素が加わっての話だが、はじめの一歩は、毎日朝日を浴びたことから始まったのだ。

*** 明日は、蘇れ日本人の会のブログで 『早朝とひらめき』です  ***

 http://soseinippon.way-nifty.com/blog/  

元気なときには、夜になると眠くなり、朝、目を覚ますことが当たり前と思って過している。ところが、身体の具合が悪くなると、夜も痛みで眠れなかったり、あれこれと気になることが沸き起こって、一睡も出来ないまま朝を迎えることになる。



ある人が呼吸困難に陥ったときに、「このまま眠ったら二度と目を覚まさないのではないか」と不安になり、眠ることが出来なくなったという。



人は自分の力で生きていると思いがちだが、夜眠ることも、その間に息が止まらずにいることも、心臓の働きで血液が体内を巡り続けてくれることも、内蔵や色々なホルモンなどが働き続けてくれることも、人の力でしているのではないことに気がつくべきだ。



神様は、本当に自分の目の前にいらっしゃるのだ。そして自分の中でも、命を支えて日々働いてくれているのだ。



「生かさせていただくことの感謝」と一言で言うが、本当にそこに気がついたら、「その命を生かして、世の中のために何をさせていただくべきだろうか」と問いかけるべきではないだろうか。



ただ食べて、寝て、出して、そして不満たらたらで無意味なときを過していることの申し訳なさに気がつくはずである。


2007.02.08 神の領域 

科学万能の世の中であると信じられている。そして人工は、自然に勝るとばかりに、何でも人の手で成し遂げられると思って、神様の領域にまで踏み込みすぎてはいないだろうか。



バイオ技術や品種改良のすべてがいけないとは言わない。しかし、人工授精やクローン人間、遺伝子の組み換えまでいくと、人が踏み込んでいい領域を超え、神様の領域を侵すことになる。人類は、その傲慢さに気がつかなければならない。



「命」の根源は、神様の領域であって、人が手出だしをしてはならないものなのだ。何でも知りたがり、何でも手を出したがるが、その先にあるのは、破滅以外の何物でもないことを知るべきである。


日本には、八百万(やおよろず)の神様が、いらっしゃる。


なぜそんなにたくさんの神様がいらっしゃるのだろうか。



それは目に見えない空気をはじめ、火や水、そして山も海も川も、大自然のすべてに神様が宿るからだ。


山には山の神様、田には田の神様、野には野の神様がおられ、自然そのものが神様なのだ。



山の神様は、山の木々や草花をはぐくむ力や、また六甲おろし、浅間おろしと言われるように、山があることで風が起き、土地の高低差から滝などが生まれる。



すべては私たち人間が生きて行く為に必要なものとして与えて下さったのだ。だから、先人たちは、朝日に手を合わせ、夕日に感謝を述べたのだ。日本人の本質は、この感謝の心で日々を過すことにあったのだ。



しかし都会で育った人には、周りに自然がない分わかりずらいという。


「川には、川の神様」と言ったときに「近所のどぶ川のどこに神様がいるのですか」と真顔で問われたことがある。



確かに海も重油が流れたり、ヘドロが堆積している。空気ももろもろの大気汚染で汚れている。しかし汚したのは、神様ではない。人類だ。「母なる大地」と言いながら、その母の腹に穴を開けたり、勝手にダムを作ったりしてきたのだ。本来はそこにトンネルを掘り、橋を作り、道を作ることについて、お伺いをし、お許しを得てから作るべきなのだ。



本当は、人の身体と心の健康を常に保てるように、自然界の力が働いてくれているのである。自然の浄化の力をはるかに超える汚れを人類が垂れ流したり、排気ガスを始め、空気の汚染等勝手のし放題をしたために、今の自然破壊となったのだ。



風の流れにしても、潮流や海流の流れにしても、自然界のそうしたリズムを壊し、地球温暖化という問題にしても、そろそろ限界に達してきてはいないだろうか。



もう一度自然と人の心をきれいにして、神様に感謝申し上げ、神様のお力を蘇らせていただき、そしてその中で暮らせる世の中を作るべきではないだろうか。あれこれと理屈を言う前に、感謝の原点に戻そうではないか。



2007.02.04 今日は、立春

 今日は、二十四節気の立春だ。「夏も近づく八十八夜」とか「二百十日、二百二十日」は、この日より数えてのことだ。

 季節は、一年のもっとも寒いときだが「冬の神様」から「春の神様」に交代する日でもある。「冬の神様」にお礼をいい、「春の神様」をお迎えする。

いつもの年ならば、まだまだ寒風が吹きつけ、地域によっては雪深い中での日々を送っているはずである。しかし今年は一度も雪が降らない、氷が張らない地域が増えた。本当に「冬の神様」は、来ていたのだろうか。

私たちは、一年中エアコンのきいた部屋で暮らし、季節の変化に背を向けているが、そろそろ自然に目を向ける心、神様をお迎えする心を取り戻すべきではないだろうか。

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