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『朝日を浴びる』ことをまずお勧めします。


そのわけは、朝一番に清々しい空気の中で、朝日を浴びて素晴らしい一日の始まりにすることが出来ることです。



その上朝日を浴びることは、少し難しく思われるかも知れませんが、身心霊の清めになるのです。身も心も霊魂も清らかになって一日を始めることは、素晴らしい一日を迎えることになります。



「始めよければすべてよし」です。それに誰でも出来ること、毎日出来ること、それによって自然に接する事が出来ることなどです。



朝日の浴び方ですが、


朝日に向って、手を合わせて軽く頭を下げ、


「朝日を浴びさせて頂きます」と申し上げて、


前半身に十分、背中側に十分位、


そしてもう一度前半身に五分くらい、


朝日を浴びられたらよいと思います。



最後に「ありがとうございました」と、お礼を言って終えます。



浴びる時間は、その人によって本当は違います。直接ご指導出来る方には、「あなたは、このように」と申し上げますが、ここでは一般的な時間と思って下さい。



そして慣れるまでは、案外人目が気になりますので、出来るだけ自分が安心して浴びられる場所を探してされたらよいと思います。小田原の事務所は、海が目の前にありますので、泊りで来られる方は、浜に出て心ゆくまで浴びておられます。



(毎月、第一土曜日が小田原での講演会、翌日が月次祭ですので、遠方から来られる方は、このときに小田原に泊まって参加されるのです。早朝の海辺での朝日はことのほかさわやかですので、皆さんに「朝日を浴びて下さい」と言う必要が全くなくなりました。



講演会は、どなたでもご出席頂けます。ただ月次祭は、御霊繋ぎと言って、神様とご神縁を結ばれた方で、何度かこちらに来られた後に、ご参加頂いています。出席には予約が必要です。



朝日浴の時間は、朝の九時までと思って下さい。



ところで私がお話ししている『朝日を浴びる』ということは、『ひなたぼっこをする』事ではありません。朝日の中に、神様を感じて、一日のはじめを神様と共に過すということです。



「こんな事で、本当に何か変わるのかな」などと、半信半疑でしたのでは、効果は半減してしまいます。素直な気持ちでされたらよいと思います。



本当は、野外に立って直接浴びるのがよいのですが、身体の弱っているときなどは室内で、窓越しに、座ったままでも大丈夫です。難病などで寝たきりの方でも、首から上と、手首から先と足首から先に朝日を浴びて頂いているうちに起き上がれるようになり、それから直接朝日を浴びて平癒された方もおられます。



本気で続けているうちに、雨の日、曇りの日であっても、その厚い雲を通して朝日を感じることが出来るようになっていきます。



中には、朝日が段々自分に近づいてきて、やがて自分の中に入ったと実感された方もいらっしゃいます。その方は、「今日は、ここまで来た」「今日は、もっと近くまで来た」「今日、自分の中に入った」と感じたそうです。



「雨の日、曇りの日はどうしたらいいのですか」と聞かれますが、雲の上には燦然と輝く朝日があるのです。だから雲を通して朝日を浴びたらよいのです。



なるべく、同じ時間、同じ場所で浴びると、たとえその日が曇りで直接朝日が見えなくても、だいたいの場所の見当がつきますので、初めての方でも浴びやすくなります。


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毎月の定例講演会を二十年くらい一月も欠かさずに続けてきました。


内容は文献を読んでの勉強会ではなく、私が神様との接しの中で受け取らせて頂いたことなどを中心にしたお話です。そして神様の世界の話や、それを現代に生かす教えなどのお話をしてきました。


 


皆さんから、よく「どうすれば、先生のように神様に通じられるのですか」というご質問があります。どんなに難しいことをしたのか、あるいは厳しい修行をしたのかと思われるようですが、その秘訣を一言で言えば、「ただひたすら神様に合わせる」ことなのです。



私もある時期に、来る日もくる日も、朝から晩まで、神様との問答を続けまし


た。また何ヶ月もの間、東京大神宮に連日通った時期があります。


それは愚鈍なくらい一途にお合わせした日々でした。



(その詳しい経緯は、もう一つのブログ「本当の神様を求めて」http://fujiwarashintou.blog79.fc2.com/archives.html#all13



神様に通ずる道は、広く大きな一本道です。横道にそれたり回り道をしたりせずに、そのまま素直に神様に自分が合わせられたらよいと思います。



ただ今の世の中は、本当の神様と神ならぬ怪しげな存在、人を操る恐ろしいものがいることも事実です。ですから本物か、そうでないものかの見分けが大変に難しい時代になっていることも否定できません。ですからきちんとした指導の出来る方について行うことが必要で、自己流ですることは大変に危険です。



誰でも出来る一番身近で、そして毎日でも続けられるのは、朝日を浴びる事と朝日に手を合わせることです。日本人は、『お天道様に手を合わせること』で、一日を始め、子供さんにも『お天道様が見ているよ』と言って、戒めたり、育ててきました。



朝日に向って手を合わして「おはようございます。(神様)今日も一日、どうぞよろしくお願い致します」とご挨拶して、一日を始める習慣をつけられたらいかがでしょうか。一番良いのは、水平線なり地平線などから、朝日が顔を出した直後がよいのですが、季節によって時間もかなり異なりますので、だいたいの時間決めてなさられたらよいと思います。


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ほとんどの人は、神社に行ったときや神棚の前で、頭を下げてパンパンと手を叩くことはしていますが、ではそれが神様に本当に通じているかというと??なのです。



「神道は、挨拶に始り、挨拶に終わる」と言われるくらい、神様に対してのご挨拶は大切です。神様に通ずることが出来るご挨拶が出来るようになると、自然に自分の胸に感応するものが出て来ます。



この感性が大切なのです。頭で考えたり、理論で理解しようとするのではなく、もっと純粋に神様に向われたらよいのです。



神様に通じるためには、まず真心を持った挨拶が出来るようになること。自分流に「これが真心だ」ではなく、神様からご覧になられて、受け取って頂ける真心がこもっている挨拶が出来るかどうかが大事なのです。



神様には「お鏡を通じて、神様にご挨拶」をします。そして心の中だけや、口の中でムニャムニャと言うのではなく、はっきりと言葉に出してご挨拶することです。



そして一般に神様に対しては、たいていお願い事をするので、ご挨拶はそこそこに、自分の願い事を述べてしまいがちですが、まずその前にしっかりとご挨拶をし、礼を尽くすことが先なのです。



人の世界でも、挨拶もそこそこに、「これ、やって」「何とか、頼みます」と言ってくる人には、そこそこにしかしてもらえないか、「なんて失礼なヤツだ」と全く相手にしてもらえないはずです。



人と人の間で、とうてい応じてもらえないようなことを、案外神様に対しては平気でしているのではありませんか。「まずご挨拶」をし、そして「日頃のご守護に対しての感謝の言葉」を述べる。願い事を言うとしてもその後からです。



家に神棚をお持ちの方は、毎日そのご挨拶を積み上げていかれ、神様に通ずる(受け取って頂ける)ご挨拶が出来る用に心がけられたらよいと思います。



学校での勉強の仕方は、たくさんの知識を覚えて、それが出来た人が優秀な評価を受けますので、神様の話もたくさんの書物を読んで、難しそうな神様のお名前を覚えることが大事と思う方もおられますが、頭で考え、頭で理解しようとしている間は、永遠に受け取ることは出来ないのです。


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皆さんは、それぞれの思いで神社にお参りされていると思います。そうした参拝者の中には、「この人の思いは、神様に通じているなぁ」と感じる人と、反対に「もったいないなぁ、せっかく伊勢まで来ているのに・・」と思わずにはいられない方とがいらっしゃいます。



冷やかしではなく、せっかく神社に参拝に来たのなら、神様にお会いして帰りたいですよね。直接見えなくてもいいのです。心に感じ、魂に響く感動を得られたら、それは神様があなたの前にお出まし下さっているのです。



神様は、想像上の存在ではなく、実際にいらっしゃるのです。そして本当に真心を持って神様のもとをお尋ねすれば、どなたでも必ずお会いすることが出来るのです。



ところで皆さんは、神社に行ったときのお参りの仕方は、誰から習ったのでしょうか。おそらくほとんどの人が、親がされたとおりにまねをしておられると思います。


だから、親が「神社なんて行ったこともない」という人だったら、子供さんはわからないままのはずです。



すたすたと神前まで行って、ぺこんとお辞儀をしてくるだけの人、お賽銭をポンと投げて、そのまま帰ってくるだけの人、両手を合わせないで片手拝みの人、こういう人も「なんか変だな」と思っても、正しい仕方がわからないのです。



華道や茶道、柔道、剣道にしても、形がありそして教えてくれる人がいるのに、神仏に関しては、本当に自己流でせざるを得ない状態です。



しかし、それでは神仏に通じられる人は、本当に数少ないと思います。


それは各人が悪いと言うよりも、時代の流れと人の心のうつろいによって、いつの間にか神仏のことがわからなくなり、かつ神仏から遠ざかってしまった結果だと思います。



かつてのように、空気も、水も、人の心もきれいなときならば、そのまま神様に繋がることが出来ましたが、残念ながら今はそのすべてが汚れています。


だから、人の方でよほど心を正して、自らを清めて行かないと、そのままではとても神様とはお会い出来にくいのです。


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