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前回、『一夜飾りは、なぜダメか』のお話しを致しました。


ではどんな飾りを、三十日までにしておくと良いのでしょうか。



まず玄関に門松を飾ります。


昔から一般に、松は歳神様の依り代と言われ、歳神様が宿る安息所であり、神霊が降りてこられる際の目標物として門松を飾る風習が出来たと言われています。



そして歳神様とは、お正月にぞれぞれの家にお迎えする神様のことで、その神様に感謝の気持ちでお迎えする為に門松を飾るという意味も込められていたとされています。



正しくは、歳神様をお迎えする為のものです。


門松の言葉は、『神様のお越しを、松(待つ)』と言う意味でもあります。



ただ一般に言われているような神様の依り代や安息所ではありません。また歳神様は、お正月の間だけ来られていると思われているようですが、その年一年その家を守るためにいて下さるのです。



もし歳神様の依り代が門松であったら、歳神様は家の外にいて、その家の中には入っては来られないことになります。また松の内が開け、松飾りなどを外した後は、その家に歳神様の居場所はない(=いらっしゃらなくなる)ことになってしまいます。



正式な門松をご用意するには、十二月の初め頃から注文する必要がありますが、


二十五日頃から、お正月用品などを売るお店で簡易な門松などは販売しています。




では歳神様は、どこにお迎えしたらいいのでしょうか。


床の間がある家は、床の間にお迎えします。床の間の掛け軸を普段のものから「初日の出」や、「鶴亀」などの、お正月にふさわしいおめでたい掛け軸に掛け替えてお迎えします。




床の間には、鏡餅も飾ります。


鏡餅は、鏡開きまでの間に次々と神様のお力が込められますので、中に小さなお餅の入っているものは避けて下さい。お力が分散してしまいます。



またお年玉も、三宝などにのせてご用意するとよいでしょう。これはお正月になって床の間に乗せるので大丈夫です。お金を何日も出しっぱなしにしておくのも不用心ですので。



お年玉は、普段のお小遣いとは別の「子供にとっての臨時ボーナス」位に思っている人が多いと思いますが、歳神様のお力を頂いた、その年の魂(玉)をそれに託して頂くのです。



そこに親御さんの、「この子がその年一年、健康ですこやかに育ってほしい」という思いも込めて渡してあげると良いでしょう。



お正月に、家長(お父さん)が、床の間の歳神様に新年のご挨拶をした後で、長男から順に渡します。




床の間のないお宅は、神棚のところか、机などに白い紙を敷いて鏡餅などを飾って下さい。大事なことはそこに歳神様をお迎えするのだという気持ちです。



もちろん神棚のあるお宅は、しめ縄なども遅くとも三十日までに取り替えて新しいものにしておきます。



ではどうぞ良いお年を!


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大晦日に門松や、松飾りを飾る事を「一夜飾り」と言いますが、一夜飾りは良くないと昔から言われています。その本当の理由をご存じでしょうか。



一般には、「お正月の神様をお迎えするのに、たった一夜では誠意にかける」とか、「葬式の時には、『一夜飾り』になる為に、それに通ずるから避けた方がよい」という説などいろいろあります。



さらに「三十日は、旧暦では大晦日とされるために、一夜飾りと同じ意味である、二十九日は、(苦しみ)に通ずるから、門松などは二十八日までに飾るのがよい」と言われています。



しかし本当の意味は、「新しい年の歳神様が、三十一日の早朝に、その家に来られる」からです。ですから三十一日の昼間や夜に飾ったのでは、間に合わないのです。



門松も松飾りも、歳神様をお迎えするものです。三十一日の早朝に歳神様が来られたときに、松飾りなどがない家には、「この家には、神を迎える意志はないのだな」と家の前まで来て下さっても、そこから家の中へは入られずに、そのままUターンして、お帰りになってしまわれます。



歳神様は、毎年変わられますので、このときに歳神様をお迎え出来なかったときには、その年一年、その家に歳神様はいらっしゃらないことになります。


今までの歳神様は、元旦の零時ちょうどにお帰りになられます。



きちんとお飾りをして、歳神様をお迎えした場合には、


三十一日の日に、それまでその家の方達を守って下さっていた歳神様といわゆる引き継ぎをなさられます。この家には、どんな問題があるのか。問題と言うと、悪いことのようですが、良い方の問題も引き継がれます。



良い方で言えば結婚問題、「年頃の娘さんがいらっしゃるから良縁を得られるように、それにふさわしい生活が出来る様に導いてあげて下さい。」とか、



「来年は、この家に○月頃、新しく子供が誕生します。母子共に健康で過ごせるようよろしくお願い致します。そして神様のご意志にそった、神の子にふさわしい御子に育ちますようによろしくお願い致します。」とか、



「来年は、受験の子がいます。ですからその子の健康と、集中して学びが出来て、合格出来ますように導いてあげて下さい。」とかがあり、その他にも



「このおばあちゃんが、口うるさくて、皆をしゅんとさせているから、そんな時にはおばあちゃんを黙らせて皆が明るく過ごせるようにしてあげて下さい。私も一年働きかけて、今このくらいまで来ております。後、よろしくお願い致します。」



ほんの一例を挙げただけでも、大事なことがたくさんあると思いませんか。皆さんが願っている幸せがここにたくさん詰まっているのです。



歳神様が来られるのが、元旦の朝であれば、三十一日に飾っても本当は問題ないわけです。どんなに遅くとも、三十日のうちには、松飾り等をして歳神様をお迎えさせて頂きましょう。



歳神様は、松の内までいらっしゃると言われていますが、七日までが松の内だとしたら、それ以降はせっかくお迎えした歳神様はその家にいらっしゃらないことになってしまいます。歳神様は、その年一年、その家にいて下さいます。



家庭内暴力、家庭内の殺人など、日常的な事件となってしまいましたが、神様の守りのないところでは、そうするといろいろなことが起ってしまう可能性があります。



歳神様は、その年のそれぞれの人にとって大事なことのほとんどを担当して下さる、いわば福の神様なのです。



心を込めてお飾りをし、素晴らしい新年を迎えて下さい。



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今日は、少し毛色の変わった話をします。



同じ条件、同じ問題に対しても、その人がその時に持っている運や、発している気によって、出てくる結果は異なるものです。



それは私の恩師で、日本有数の特別な易をしている方も言っておられました。



その方は、従来の易に、神道の要素とご自分独自の秒単位の時間を組み合わせて、その的中率は、99.9%と言われていました。


それを聞いて、ある大企業がコンピュータ占いのような形で、使わせて欲しいとの申し出があったほどですが、きっぱりとお断りをされていました。



「私の易は、確かに99.9%当たるという自信はあります。しかし、たとえ99.9%当たったとしても、それが興味半分、遊び半分の人の時に当たり、本当に人生をかけるご相談の人の時に、それが外れたら意味がないのてす。



そして同じ卦が出ても、結果は同じではありません。最後の決め手は、その人がその時に発している気で判断するのです。



それは絶対に機械では出来ません。直接お目にかかって見るしかないのです。」と言われ、もったいないと言われながら、コンピュータ化しませんでした。



どんなにその人が持つその時の運気が良くても、それを活かす人の気持ちが引けていたのでは、活かすことは出来ないと言うことです。



目の前にチャンスがぶら下がっていて、手を伸ばせばいいだけの時でも、何もしないで時間だけ過してしまう人が、実は結構多いのです。「誰かが何とかしてくれるだろう。」「誰も何もしてくれない。」と愚痴る人がいますが、誰も何もしないのではなく、自分が何もしなかったために、いい運も過ぎ去ってしまうことに気がついていないとしたら、本当にもったいないことです。



人生は、時として自分にだけ苦しい様に見えますが、大きな目で見たときに、実は大変に平等に「運」は巡ってきているのです。要はそれを受け入れるか、受けいれないかの違いであり、行動するか、しないかの違いではないかと思うのです。



良い運勢も、自分のその時の気迫と釣り合った動きになるはずです。


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燃える火を縦に、水を横に、十字に組んで、


わかりやすくカミ=神と言われました。



それに土(ツ)を加えてツとし、今度は火をヒと読んで、


ヒミツとしたのです。



それは、人は火と水と土で出来ており、


土で肉体を維持しているので、人がこの世を去るとき、


肉体を土に返さないと、土の部分が重くて、


火と水の神の世界に帰れないという意味です。



神が人の親であり、人が神の子であるという関係も、


すべてヒミツとされていたのです。


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