全記事リスト   管理者用
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

3月3日は、ひな祭りです。



女の子の節句として、ひな人形を飾り、ひなあられを食べたり、お白酒(子供さん向けにアルコールの入っていないものもあります)を飲んだりして、祝います。




一般に、ひな祭りは、中国からその習慣が来たと言われていますが、本当は日本の神代の時代からはじまったものです。



その神様は、「神世七代の神様(天照大御神様よりもずっとご先祖の神様)」の三代目の神様です。



その神様のお名前は「ういじにの神様」「すいじにの神様」というお二方のご夫妻の神様で、結婚のしきたりを定められました。



この神様のお話をご紹介します。


昔、越の国に男の子が生まれ、その握りしめた手に桃の種を握りしめていました。その種を地面に植えたところ、三年と三月三日後に、百の花が咲き、そして百の実がなりました。



そこでその木を百(もも)=桃の木と呼ばれるようになりました。



その男性の神様を「桃雛木(ももひなき)の神様」、女性の神様を「桃雛実(ももひなみ)の神様」と呼ばれ、成長していきました。男性の神様は「き」と言い、女性の神様は「み」とか「め」と言いました。木に実がなって種となり、循環することを意味しています。ですから、「君」というのは、本来は男性と女性の両方を意味するのです。



やがてお二方は、大きくなり結婚をすることになりました。その時にある神様が、お祝いにお酒を持ってこられました。それは、竹の切り口に雨水が溜まっているところへ、雀が籾殻を運んできたものが発酵してできたもので、「ささ」と呼んでいました。



お二人はささ(お酒)を入れて酌み交わしました。それは、新婚初夜の「床神酒」と言い、現在の結婚式にする「三三九度」の杯・盃の始りとなりました。



その後お二人は、縁側に出てお酒を酌み交わしました。その時お酒を入れた杯に月が逆さまに写りました。それでその器を、逆月(さかづき)=杯 盃と呼ばれるようになりました。



この結婚初夜の床神酒とは、女性は普段は慎ましやかでなければなりませんが、結婚の時まで慎ましやかすぎては、お二方の結びも出来ないし、子孫繁栄にも繋がらないので、新婚初夜の時には、床神酒と言って女性が先にお酒を頂き、ややほんのりとしたところで、先に床について男性を待つのです。だから、女性から先に頂くので「みき」と言うのです。



桃雛木、桃雛実の神様は、この床神酒を頂いて結ばれますが、その晩は燃えに燃えたために、翌朝ほてった身体をさますために、すぐそばの寒川に入りました。



男性の方は、川の中程まで入り、着ていた着物の袖が大きくぬれました。そこでそれからその神様のお名前を、大濡煮神様(ういじに・大きく袖が濡れるという意味)の神様と呼ばれるようになりました。


女性は、川に少しだけ入り、袖が少しだけ濡れましたので、少濡煮神様(すいじに・少し袖が濡れると言う意味)の神様と呼ばれるようになりました。



女の子が生まれたら、すくすくと良い娘さんに育ち、やがて良き伴侶に巡り会って幸せな結婚が出来るように祈ります。雛祭りの時に、アルコールの入っていない白酒を飲んで、三三九度の予行演習をするのです。



「灯りをつけましょ、ぼんぼりに


 お花をあげましょ、桃の花


 五人囃子に笛太鼓、


 今日は、楽しいひな祭り」



と無邪気に歌っているままの娘でいつまでもいて欲しい反面、女性の幸せは良き伴侶と出会い、幸せな結婚をすることでもあります。



女の子が生まれたら、女性の実家からひな人形が贈られると言いますが、そのくらい手塩にかけて大事に育てた娘さんを嫁に出してくれたと言うことを、こうした機会に男性の側も是非受け止めて頂きたいと思います。



ひな祭りは、女の子の幸せを祈るお祭りです。心を込めて祝って差し上げて下さい。



神世七代の神様で国生み伝説に出てこられる「いざなぎの神様、いざなみの神様」は、神世七代の神様の七代目の神様です。



古文献には、この神様は越の国の日成岳(ひなるだけ)に住んでおられたということで、ずいぶんと探しましたが、なかなかわかりませんでした。越の国ですから、越前・越中・越後とあり、越後は上越・中越・下越とあります。最初は越中の立山付近を探しましたが、結果は越前の小浜市から鯖街道を経て琵琶湖へ抜ける途中の百里ヶ岳のことでした。百はももですから、ちゃんと桃の里として残して下さっていたのです。


関連記事
スポンサーサイト

人はついつい、うまくいったときには、自分一人の力、あるいは自分達の努力だけて出来たように思い、そこに神様のご加護や、お力を加えて頂いたことに対する感謝を忘れがちです。



「オレがこれだけ頑張ったからだ」「自分は運がいいんだ」と感謝の心を忘れ、中にははっきりと神様にご祈願をしたにも関わらず「どういう訳か、うまくいった」などと、うそぶく人もいます。



しかし日本人には、昔からこんな言葉がありました。


「お蔭様で」と言います。お子さんが無事生まれたときに、「お蔭様で無事に生まれました」といい、病気が良くなった時なども、「お蔭様で、熱が下がりました。回復しました」等と言います。



お子さんが受験などに合格したときも、誰かから「おめでとうございます」と言われた時に、「お蔭様で、合格出来ました」と答えますね。会社が大きくなり新しくビルなどを建てることが出来たときも、「お蔭様で、ビルを建てることが出来ました」と言います。これは大変に謙虚で素晴らしい習慣です。



自分を支えてくれた方達の、「お蔭様で」、そして神様、ご先祖様のご加護の「お蔭様で」ということです。この「お蔭様」という心を持っている人と、持っていない人とでは、その後の人生に大変大きな開きが出てしまいます。



人は、もちろん努力することが必要ですが、それを活かすことが出来るためには、目に見えないご加護や、周囲の人々の支えを忘れてはならないからです。



受験などで言えば、健康で受験勉強が出来た日々に対して、天候や交通機関などもその影響で受験会場に遅れることもなく着くことが出来たことに対して、面接などであれば、あがることもなく(あがったとしても)、自分の良さを発揮出来たからこそ、「お蔭様で、合格出来ました」なのです。




農家の方であれば、良き水、良き天候に恵まれて、収穫を得られた時に「お陰様で、実りの季節を迎えました」と言います。途中、汗を流し雑草を抜いたり、数々の手入れをしますが、豊作、不作を決めるのは、それをはるかに上回る自然の力が大きいことを知っているからです。



そうした自然の力や神様やご先祖様のご加護に対して、「お蔭様で」と言うのです。物事の成就の為には、自分の努力だけではどうにもならないことがあります。その努力が出来る健康や気力を与え続けてくれたことに対して「お蔭様」と感じる事が出来るからです。しかし、こんな理屈を言わなくても、日本人なら「お蔭様で」は、自然に口に出来る言葉ですね。


関連記事

神様に、一年のお願い事をするのは初詣の時と思っておられる方が多いと思いますが、お正月は新年のご挨拶に止めて、一年の大切なご祈願は、二月に祈年祭(きねんさい あるいは、としごいのみまつり、)と言って、一年の大事な祈願をする時があります。



伊勢神宮では、二月十七日に祈年祭をなさいますので、一般の神社でもそれに習って十七日にすることが多いようです。



私の所では、二月二十日から、月末までの良い日を選んでとお伝えを頂きましたので、その間の日曜日に執り行うようにしています。



祈年祭は、11月の新嘗祭(一般には、勤労感謝の日)と対になっています。


つまりお願いをしたら、そのご報告と感謝を申し上げる事が、大切ですので、祈年祭に出席して祈願をしたら、新嘗祭にも出席することが前提になります。



この年一年どんななことを叶えたいのか、はっきりしましたでしょうか。そしてその為のご計画は出来ましたでしょうか。神様に、何をお願いしたいのかがはっきりせず、「何でもいいから、最高に幸せになりますように」では、神様もお困りになるはずです。



幸せの感じ方は、人それぞれに異なり、神様が「この人にとって、これが最高の幸せ」ともし与えて下さったとしても、それが成就するためには、それだけの鍛えが必要なことが少なくありません。ですから、その気持ちになっていない方にとっては苦痛なだけと言うことにもなりかねません。たとえばオリンピックの選手でも、それに出たいと思う人だから、一日の大半を厳しい練習にも耐えることが出来るのです。



ですから「自分は、何を成就したいのか」「そのための計画は、こう」ということが、絶対に必要なのです。



さらに「願いが叶った後、どうするのか」ということが、神様が願いを聞き届けて下さる大事な決め手になります。



たとえば「病気が治りますように」「命が助かりますように」と願い出たときに「では健康になったら、あなたは、何をするつもりか」と神様から問われているはずです。そのお言葉は、直接聞くことが出来ないかとは思いますが、その時に「泥棒をします」「振り込め詐欺をして、お年寄りからごっそりとお金をだまし取ります」と答えたらどうでしょうか。



「今年こそ、結婚が出来ますように」「良い人に巡り会えますように」と願い出たときも、「どんな結婚生活を築きたいのか」と必ず問われています。その時に「女なら(男なら)誰でもいい」「タダで使える召使い代わりに」と答えたとしたら、「そんなことなら、神の預かるところに非ず。もっと家族になる人を大切にする心になってから、参るがよい。」と即座にご返答頂いているはずです。



皆さんは、ご祈願したら成就するまで分からないと思っておられると思いますが、本当は「ご祈願と同時に、神様からはご返事が出られている」のです。



「即座にも叶う」場合と、「これこれを成し遂げたら、叶うであろう」とご回答が出られる場合と、「その願いは叶えるわけには、まいらぬ」あるいは「そなたにそれは不向きだから、別の進路(あるいは仕事など)を考えよ」と断られてしまう場合などに分かれます。



神様にお願いしても、それは単なる気休めと思ったら大間違いです。


本当に神様はいらっしゃり、真剣に願い出て、それが神様のご意図に叶うことであれば、成就の為のお力を加えて頂けるのです。



祈年祭をご存知の方は、まだ少ないかもしれませんが、今月はそうした大事な一年の祈願が出来るみ祭があるのです。


関連記事

二月十一日は、建国記念日です。



この日は、初代の天皇である神武天皇が橿原神宮の宮で即位をされた日と言われており、神道ではそれをお祝いして、この日は紀元節祭をします。



ニニギの尊様の時に、「天孫降臨」がなされ、九州の高千穂に降り立たれましたが、何代か後の神武天皇様の時代に、どこに行けばもっとよくこの国を治められるだろうかと話し合い、東に向うことになりました。



神武天皇の東征と言われ、数々の歴史に残る戦いの中では、不思議な瑞兆が現われました。その一つが、神武天皇の弓に留った金のトビです。



九州の日向の美々津から船出して、筑紫の国に向い、さらに吉備の国(岡山)を経て、現在の東大阪あたりまで来たときに、ナガスネヒコと名乗る者が、軍勢を用意して待ち構えており、その戦いの中でお兄さんの五瀬命(いつせのみこと)は、戦死してしまいます。これは、「日の御子なのに日に向かって戦うのはよくないことだ」と仰せになられて、大きく南の方向に回られ、さらに迂回して熊野村にお着きになられた。



ここで荒ぶる神の化身の大熊の毒気に当たり、皇軍もみな気を失っているとき、


高倉下(たかくらじ)が布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を持参し、これによって正気を取り戻したといわれています。この剣は、石上(いそのかみ)神宮におさめられています。



その戦いの中で、金のトビが飛んできて、神武天皇の弓に留まったとされています。金のトビは光り輝き、ナガスネヒコの軍は眩惑されて戦うことが出来なくなりました。



神武天皇の弓に金のトビが留った事は、絵画にも描かれています。



「トビは、時代を開くもの」とも言われ、この時に日本の歴史にとっても大きな時代が開かれました。



「立春は、天の紀元」に対して「紀元節は、大地の紀元」とも言われます。



ところで年号を数えるときに、西暦、平成が一般的ですが、「皇紀」という年号があるのをご存じでしょうか。西暦は、キリストの生誕の時からの年号です。平成は、日本の現天皇様即位の時からの年号です。それぞれの天皇様毎に個別の年号がつけられます。明治、大正、昭和、平成と続いてきましたね。



皇紀とは、神武天皇がご即位の時からの年号を現わします。


今年は、紀元二千六百七十二年です。



私達が子供の頃は、歴代の天皇様のお名前は全て暗記していました。


今でも言えます。神武(じんむ)、綏靖(すいぜい)、安寧(あんねい)、懿徳(いとく)・・   



そして現在の平成天皇様が百二十五代です。その間、二千六百七十二年。世界中のどこを見渡しても、こんなに長く一つの歴史が続いている国はありません。



神武天皇が即位された橿原神宮は、奈良県の橿原市にあります。すぐ近くに神武天皇陵もあり、大和の国と呼ばれる日本の歴史に触れることが出来る素晴らしい所です。



日本の国の始まりとしての建国記念日を、紀元祭として大いに祝いましよう。


関連記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。