全記事リスト   管理者用
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
台風四号の接近する中、六月十八日に壱岐島へ伺いました。以前から何度も壱岐島には来ていましたが、今回は神社に参拝したり、名所を訪ねるのではなく、国生み神話として、壱岐島全体を『天の一つ柱』として伝えられている『天に通ずる柱』を神話さながらに感じ、それを今に蘇らせるといった目的の為でした。

壱岐島は、九州の福岡より高速船で約一時間の小さな島で、なだらかな丘陵がある穏やかな地形の自然豊かな島です。しかし玄界灘の荒海に削られた荒々しさも、左京鼻や鬼の足跡・辰の島の蛇が谷といった自然の造形美として、幾つもの名所に見ることも出来、観光で訪れても楽しいところです。

古事記の国生みによれば、火の玉のようになっていた地球が、段々と冷えてくるにつけ、軽いものは上に昇り、重いものは下に沈んで「天と地」が分かれていきました。初めに地球の中心のエネルギーとも言えるお力を授かって現れたのは天御中主(あめのみなかぬしの)神様でした。

しかし、この神様はお姿をお見せになられませんでした。この神様は地球の中心にあって、燃えさかるマグマを私達の目で直接見ることが出来ないのと同じように、中心の大切なお力を、見えないところで与えて下さっておられる神様だからです。

そして次に現れたのは、タカミムスビの神様とカミムスビの神様でした。天御中主神様とこのお二方の神様を合わせて「造化三神」とお呼びします。

そしてさらに次々に神様が誕生されました。国常立神様から神世七代といわれる神様の時代に入りますが、その七代目にイザナギの神様、イザナミの神様が誕生しました。(伊勢の天照大御神様のご両親です。)

ここからは、一般に言われている「神話としての国生み」のお話になります。国生みの中で壱岐島に関するところを簡単にご紹介致します。

地球の「天と地」が分かれてから、かなりの年月が過ぎても、まだ大地は今のようにしっかりとは固まっていませんでした。高天原の神々様は、地上をもっとしっかりと固めて、人や動物やいろいろな生き物が暮らせる世界を作ろうと考えられました。
 
そこで高天原の神々様は、伊邪那岐・伊邪那美神様をお呼びになられ、「この漂える国土をよく整え固めよ」と命じられて、天の沼矛(あめのぬぼこ)を授けられました。

そこでお二方の神様は、天地の間にある天の浮橋に立たれて、沼矛を地上にさしおろして、
くるくるとかき回しました。その様子を「コヨロコヨロ」とかき回すという表現で表わされています。

そして沼矛を引き上げると、そこから雫がぽたぽたと垂れ落ちました。それがだんだんと積り固まって最初の島が出来上がりました。沼矛から垂れた雫で、自然に固まって出来た島という意味で「オノコロ島」とされています。

伊邪那岐・伊邪那美神様は、その島に降りられて、太い大きな柱を立て、お二方の結婚のための宮殿も建てられました。そして次々に幾つもの島を生み、大八島と言われる今の日本が出来上がったとされています。

大八島として、はじめに生んだのが淡路島です。古事記には、淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれています。

二番目に、伊予之二名島(いよのふたなのしま=四国)を生みました。
三番目には、三つ子のように三島から成るという隠岐之三子島(おきのみつごのしま)を生みました。またの名を押し凝り固まったという意味で天之忍許呂別(あめのおしころわけ)と言います。

四番目に、筑紫島(九州)を生みました。
五番目には、壱岐の島を生みました。またの名を離れ小島という意味で天比登都柱(あめのひとつばしら)と言います。そうして六番目に対馬が生れ、佐渡が七番目で、最後に秋津島として、本州が生れ、全部で八つだからということで、日本のことを『大八島(おおやしま)』と呼ぶようになったのです。このようにして日本の国が出来たとされています。

壱岐島は五番目に生れた島です。ここに大いなる意味があるのです。
神道では、言葉には魂が宿るとされ『言霊(ことだま)』として大切にしますが、数字にもそれぞれに意味があり、霊魂が宿るとされています。それを『数霊(かずたま)』といいます。

数霊としての詳しい話は、別の機会にゆずるとして、ここでは「十」は、神を表わし、「五」はその神々様の中心になる天地創造の大神様を表わしていると理解して下さい。

つまり五番目に出来た島、壱岐島は大神様ご自身ではありませんが、大神様のいらっしゃる高天原の中心に直結するために、天一柱神様が島全体を一本の黄金の柱で包んだ島なのです。

壱岐島に折れ柱とか八本柱として伝わっているのは、島の先端の部分や半島の先にも、一本の黄金の柱として建てられた名残に過ぎないのです。

私は、台風の近づく中、島の中央よりやや下の方にある岳の辻の中央展望所を訪れました。展望所に登ると眼下一面が白い霧に覆われ、さながら天孫降臨の時の雲の上に立っているかのようでした。そして島全体が黄金の一つ柱として天に通じていることの確認がやっと出来たのです。

今までにも、何度もここに来ていますが、確認は出来かねました。
同じ場所でありながら、今まではただの広場でした。この度は展望所の建物の中で、暴風雨の影響も受けずに、まさに天孫降臨の場面を見るように、霧靄の掛かった風景の中で、島全体に黄金の柱が輝く光景を見ることが出来たのです。

ちなみにイザナギ・イザナミの神様の国生み伝説は、別の呼び方で『修理固成(つくりかためなせ)』と呼ばれています。新たに国を生み、島を作ったという伝説ですが、本当は日本の国はそれ以前からあり、正しくは乱れていた国を立て直していったことが国生みという伝説として伝わっているのです。

島を作り上げていった順序は、その立て直しとして神様がなさられた順序です。壱岐島に天のひとつ柱をたて、改めて天と通じさせたということです。

今の日本も、本当に乱れています。改めて一からの立て直しが必要な時期に来ています。
制度や規則を整えることももちろん大切ですが、人の心が「神の子、人」としての暖かさ、謙虚さ、素直さに蘇らせること、神の国、日本と言われる魂の美しさを取り戻すことも、それと同じくらい、いやそれ以上に必要な事ではないでしょうか。

その夜は、平山旅館に宿泊し、女将の平山宏美さんから、壱岐島の天のひとつ柱の神話を蘇らせる為のイベント「神々の島・壱岐 響き合う魂たち」があるという話を伺いました。これも神様のお引き合わせかと驚いております。

神様を求めて、純粋に行動していると、思いがけない出合いや、お話を聞く機会があるものと思いました。 
関連記事
スポンサーサイト
民主主義は、外国から来たものと思われていますが、実は日本には古来から有りました。それは「皆の意見をよく聞く」ということと、「民を宝として慈しむ」という意味の民主主義です。

それは神様の世界からの伝統です。驚かれるかもしれませんが、天照大御神様は日本の国の事については、全ての権限を与えられているにも関わらず、ご自分で独裁の形を取らずに、神々様をお集めになって会議をしておられました。

ただし現在の国会のような会議ではありません。私達は、会議とは物事の賛成か反対かの意見を言う場で、そして多数決で決定する事だと思っています。

しかし神々様の会議とは、天照大御神様が、大元で「こうする」と決定したことに対して、「どのような手段方法をとるのがよいか」について、神々様がご意見を出し合うのです。そして天照大御神様は、それをよく聞かれたということです。

祝詞の中にも、『八百万の神等を神集へに、集へ給い、神議りに議り給いて』とあります。八百万の神々様を天の安河原に、お集めになられて、神々の意見をお聴きになられたのです。

天照大御神様は、日本のことについては全ての「権限有れども、行使せず」といわれ、徳をもって治めていかれました。

神様の世界でも、鹿島の神様、香取の神様をはじめとした大勢の「武の神様」はいらっしゃいます。悪い者を退治するときや、柔らかく言葉で言っても分からないときには、断固とした態度で臨むということは必要な事であり、これを言葉で和(やわ)して整え、まつらわぬ者に対しては、武で以ておさえるという「ト・ホコの教え」として、神々様もなさっておられました。

しかし「武の神様」が、日本の国の中心の神様ではないのです。日本の神々様の中心はあくまで天照大御神様で、「徳を以て、国を治める」ということを中心とされた神様です。

その直系の子孫としての天皇は、本来それに基づくもので「天皇の徳」については、いろいろなエピソードが残されています。

既にご存じの方が多いと思いますが、仁徳天皇の「かまどの煙」の話は有名です。

仁徳天皇が、即位されて4年目に高台にのぼって見渡されました。すると家々から炊飯の煙が立ち上っておらず、国民は貧しい暮らしをしているのだと気付かされました。

そこで3年間税を免除されました。そのため天皇の着物や履き物が破れてもそのままにし、宮殿が荒れ果ててもそのままにしていました。

そして3年、国民は豊になり、高台に立つと炊事の煙があちこちに上がっているのが見えました。国民の暮らしは見違えるように豊かになりました。

やがて天皇に感謝した人々が、諸国から天皇にお願いしました。
「3年も課役を免除されたために、宮殿はすっかり朽ち果てています。それに比べて国民は豊かになりました。もう税金を取り立てて頂きたいのです。宮殿を修理させて下さい。そうしなければ罰が当たります。」と。

太平洋戦争の後の昭和天皇の時にも、食糧難の時代に食べ物を求めて皇居に押しかけて、台所まで入った人がいたそうです。その時に天皇はさぞかし豪勢な物を食べているだろうと思って、お釜の蓋を開けたら、そこには自分達と同じ麦飯であったそうです。自分達は苦しいのに天皇は美味しいもの、ぜいたくをしているのかと思ったらそうではなかったと、恥ずかしくなって早々に引き上げたと言う話があります。

また昨年の東北大震災に伴い、東京電力が計画停電を実施したときには、天皇様は、ご自分からその地域の計画停電の時間に合わせて、電気を控え、暗い中でお過ごしになられたと言われています。

外国の国王や独裁者の中には、国民が飢えて死んでも自分のぜいたくはやめない人も多く、それが高じてフランス革命などが起ったといわれ、そして民主主義を勝ち取ったとされています。

今、日本でも「民主主義」として、声高に言われているのは、こちらの西洋的な民主主義のように感じますが、日本には神代の昔から伝統しての民主主義がありました。

「皆の意見をよく聞く」ということも、「下の者を慈しむ」ということも、今の日本人が忘れかけていることかもしれません。

しかし「上の人は、下の人を慈しみ、下の人は、上の人を敬い、慕い、物事を推し進めてきた」のが、日本の誇る良い伝統のはずです。

上の人とは、家庭であればお父さん、お母さんであったり、おじいさん、おばあさんです。そしてそれを受けるのは、子供や孫です。この伝統が活かされているならば、お父さん、お母さんは、ご自分の年配になったご両親を心から敬い、慕っている姿を子供に見せることが出来ます。

老人の孤独や、親子の断絶、子供への虐待といった問題のなにが根底にあり、なにが欠落しているから起きてしまうのかということをこの言葉に当てはめて考えて頂きたいと思います。

年配になったご両親が、「子供に迷惑かけたくないの」「息子夫婦と暮らしたくない」と拒むのも、部屋を与え形の上では同居しても、心の底では敬われても,慕われてもおらず、そして決して家族として受け入れられていない事を感じるからではないでしょうか。

しかし目上の人を、「敬い、慕い」と大切にすることは、何よりの家庭教育だと思います。かつての日本は、経済的には貧しくても、心の貧困は無かったといわれるのは、こうした親から子へ、子から孫へと繋がっていく絆が大きかったからです。

会社であれば、上の人は、社長や、部課長などです。下の者は、部下ということになりますが、社長は、「リストラで社員の首を切る」ことや、社員は「ストライキなど仕事を放棄してでも、自分の権利主張」を平気でしてしまいますが、実行する前に、今一度、この言葉を思い出して欲しいのです。

「上の人は、下の人を慈しみ、下の人は、上の人を敬い、慕い、物事を推し進めてきた」

「徳を以て、国を、会社を、そして家庭を治めるのが、日本の昔からの伝統である」と言うことを。
関連記事
民主主義は、外国から来たものと思われていますが、実は日本には古来から有りました。それは「皆の意見をよく聞く」ということと、「民を宝と慈しむ」という意味の民主主義です。

今回は、神代の時代からの伝統としての天の安河原における神々様の会議のお話しをご紹介します。

神様の世界では、天照大御神様は、日本の国の事については全ての権限を与えられていました。ですが祝詞の中にも、『八百万の神等を神集へに、集へ給い、神議りに議り給いて』とありますように、八百万の神々様を天の安河原に、お集めになられて、神々の意見をお聴きになられました。

これは、天照大御神様は、日本のことについては全ての「権限有れども、行使せず」という意味で、決して独裁の形は取られなかったということです。

神様の世界でも、鹿島の神様、香取の神様をはじめとした大勢の「武の神様」はいらっしゃいます。悪い者を退治するときや、柔らかく言葉で言っても分からないときには、断固とした態度で臨むということは必要な事であり、これを「ト・ホコの教え」として、神々様もなさっておられました。

しかし「武の神様」が、日本の国の中心の神様ではないのです。日本の神々様の中心はあくまで天照大御神様で、「徳を以て、国を治める」ということを中心とされた神様です。これは日本の伝統として、長く受け継がれてきました。

既にご存じの方が多いと思いますが、時代は変わって仁徳天皇の「かまどの煙」のエピソードです。

仁徳天皇が、即位されて4年目に高台にのぼって見渡されました。すると家々から炊飯の煙が立ち上っておらず、国民は貧しい暮らしをしているのだと気付かされました。

そこで3年間税を免除されました。そのため天皇の着物や履き物が破れてもそのままにし、宮殿が荒れ果ててもそのままにしていました。

そして3年、国民は豊になり、高台に立つと炊事の煙があちこちに上がっているのが見えました。国民の暮らしは見違えるように豊かになりました。

やがて天皇に感謝した人々が、諸国から天皇にお願いしました。
「3年も課役を免除されたために、宮殿はすっかり朽ち果てています。それに比べて国民は豊かになりました。もう税金を取り立てて頂きたいのです。宮殿を修理させて下さい。そうしなければ罰が当たります。」と。

これは太平洋戦争の後の昭和天皇の時にも、食糧難の時代に食べ物を求めて皇居に押しかけて、台所まで入った人がいたそうです。その時に天皇はさぞかし豪勢な物を食べていると思って、お釜の蓋を開けたら、そこには自分達と同じ麦飯であったそうです。自分達は苦しいのに天皇は美味しいもの、ぜいたくをしているのかと思ったらそうではなかったと、恥ずかしくなって早々に引き上げたと言う話があります。

また昨年の東北大震災に伴い、東京電力が計画停電を実施したときには、天皇様は、ご自分からその地域の計画停電の時間に合わせて、電気を控え、暗い中でお過ごしになられたと言われています。

外国の国王や独裁者の中には、国民が飢えて死んでも自分のぜいたくはやめない人も多く、それが高じてフランス革命などが起ったといわれ、民主主義を勝ち取ったとされています。

皆の意見をよく聞くということは、日本には神代の時代からあり、下の者の事を慈しむということは、歴代の天皇様のエピソードの中にも多く残されています。

「上の人は、下の人を慈しみ、下の人は、上の人を敬い、慕い、物事を推し進めてきた」のが、日本の誇る良い伝統のはずです。

上の人とは、家庭であればお父さん、お母さんであったり、おじいさん、おばあさんです。そしてそれを受けるのは、子供です。この伝統が活かされているならば、お父さん、お母さんは、ご自分の年配になったご両親を心から敬い、慕っている姿を子供に見せることが出来ます。

老人の孤独や、親子の断絶、子供への虐待といった問題のなにが根底にあり、なにが欠落しているから起きてしまうのかということにどうか目を向けて頂きたいと思います。

会社であれば、上の人は、社長や、部課長などです。下の者は、部下と言うことになりますが、社長は、リストラで社員の首を切ることや、社員はストライキなど仕事を放棄してでも自分の権利主張をする前に、今一度、この言葉を思い出して欲しいのです。

「上の人は、下の人を慈しみ、下の人は、上の人を敬い、慕い、物事を推し進めてきた」

「徳を以て、国を、会社を、そして家庭を治めるのが、日本の昔からの伝統である」と言うことを。

関連記事
世に『観音下座の業』という言葉があります。私達は日頃観音様を仰ぎ見、伏し拝んでおりますが、本当にその人の真価を見るためには、高いところからのみ見下していたのではわかりかねるということで、神様はあえて観音様を人の世界の、それも低いところにお遣わしになられて、貧しき者・か弱き者に対して、人々がどのように対応されるかをつぶさにご覧になられ、人の心の奥底を見極められるためにそうされるのです。

 もともと観音とは、『カム・ノン』を意味します。『カム』は神様、それを『音』で聞き分け、感応するという意味です。
 日本では、子供さんが神棚の前で手を合わせ「ノンノンさんアン」と言っていますね。「ノンノンさん」とは、「神様、神様」とお呼びしているのです。そして「僕がここ(神様の前)に来ましたよ、神様お出まし下さい」と言って、神様の門の扉を叩いていることを意味しているのです。

 『ノ』は、『ゝ 』と『ノ』で、『ゝ 』は大神様を表し、『ノ』は神様が天降られるお姿を表しているのです。『ン』は究極の音であると共に、カンの『ン』は神様、ノンの『ン』はそれを受ける私達を表しているのです。
 神様が天降られる、それを迎え入れる、神と人との双方の姿、そしてそれによって生じる音を表しているのです。

 『ア』は、『天』とか『父』を意味します。『天に坐しますわれらが父よ』とお呼びかけしているあの『天』とか『父』の意味です。要するに、子供さんは、『アン』と言って、ちゃんと神様にお合わせをしているのです。
 『ン』は、上下の縦の関係で表したものです。これに対して、ひらがなの『い』は左右の横の関係を表しています。『い』という字は『以』を表し、この『以』は『以心伝心』と言われるように、本来は神様のご意志に添って行うべきものなのです。
 この点は、子供さんの方が、真素直に神様に通ずるものを持っています。

 神様の前で柏手を打つのも、『神人合一』を表します。片方の手だけでは、音は出ません。右の手と左の手が、パ-ンと合わさることで、音が生まれるのです。
 それと同じように、神様のお心と、それをお受けする人の心とが合わさって、音が出るのです。
 『観音』は、これほどの意味がある言葉であるにもかかわらず、西洋では「ノン=だめ、いいえ」という否定語として使っています。単に大きな差があるというだけではなく、言霊の上から言いましても大変なことです。

 神様は、その人の真価を見るために、人の世界においても乞食のような姿に身をやつされて、「地位が下になっても、本当に暖かく接することの出来る人かどうか」をご覧になられるのです。下からその人を見上げる時こそ、人の真価を見極める大切な基準なのです。その人の器をもそれで見ることが出来ますし、心の豊かさを図ることも出来ます。

かつて一休禅師が、大きなお店に招かれたときに、乞食坊主の姿で行ったところ「この乞食坊主めが!」と追い返されてしまいました。その後で紫の衣で尋ねたところ、中に招き入れられたそうです。

一休禅師は、「そなたが招いたのは、この衣であろう。われは先ほど参ったが、追い返されたぞ。」と言って、紫の衣を置いて立ち去ったという逸話が残っています。そのくらい人は見た目で、その人を見てしまうのです。服装だけではなく、その人の地位や財産も「別の意味の衣」ですから、その衣だけを見ていると、人の真価は見誤ることになります。

 人が成功している時には、いろいろな方が親戚だの知人・友人として近寄って参りますが、一旦事業に失敗したり、落ちぶれ果てた時には、なかなか人は近寄らず、見向きもしないものです。まして親戚などと言われることは迷惑至極だと言わんばかりに避けてしまいがちです。しかし、本当はそうした時にこそ、人の真心の奥が計り知られる時なのです。

 今は、多数決で物事が決まったり、その器でもない人が、「長」と名のつく地位についたりすることがありますが、本当に人の上に立ち、責任ある地位についていい人かどうかは、その人の器量によりますし、実際にその地位・役職をこなせるかどうかは、その人のその時の心や魂の磨かれ方によって決まるのです。

 人は、上からだけ見ていたのでは、絶対に人の裏側はわかりませんし、その人の真価を見抜くことは出来ません。ましてや人の隠れた苦労や悩みなどには気づくことさえ出来ません。

よく「人の不幸は、蜜の味」という人がいます。しかし人の不幸を喜ぶ、自分より下になったと見下している心は、そのまま神様から見た自分の評価となってしまうはずです。

「人の痛みを、自分の痛みのように感じられる」「相手の立場に立って考えられるような心の豊かさ」を持って頂きたいと思いますし、本当は人は皆兄弟なのですから、そうあるべきではないでしょうか。

関連記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。