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五・七・五・七・七で歌う、和歌は、今はこの字を使っていますが、最も盛んだった頃は「若」だったのです。これは若返る方法です。若々しいとか、若返るのです。

ですから平安時代などは、恋愛をするのはみんな歌詠みをしてお互いに交換しました。源氏物語にも、こうした恋の歌のやりとりがたくさん出て来ます。

和歌の、「五・七・五・七・七」は、足すと三十一という数になります。
ですから三十一文字(みそひともじ)と言います。

そして神様の世界でも、この三十一という数字を大事にしています。これは宇宙の運行、太陽のまわりを回る地球の軌道などにも関わりのある話ですので、このご説明は別の機会にしたいと思いますが、この和歌には、神様に通ずることも出来る(どんな歌でもいいと言う意味ではありませんが)大事な意味が込められています。

ただ恋の歌や、普通の時には、三十一文字(みそひともじ)で良いのですが、大祓の時だけは、これにもう一文字加えて三十二文字(みそふたもじ)にして詠います。

天照大御神様のお妃向津姫(ムカツヒメ)、この方が歌った歌が残っております。

   種(たね)果(は)たね   
産(う)むすき盛(もり)の
   無病(まめ)素目(すめ)らの
   ゾロ葉も葉芽(はめ)ぞ
   虫も皆鎮(し)む

 こういう歌が詠まれているのです。まめすめらのところが六文字になっているのです。三十二文字です。

伊勢神宮の近くに、伊勢の別宮として「伊雑の宮」というところがありますが、かつてそこの周辺が、イナゴの大群に襲われました。天照大御神様が御留守の時だったので、奥様が最初は自分一人で歌っていたのですが、中々のイナゴの大群がいなくならないので、そこでお伴をしていた全ての神々がブワァーと一斉に言ったら、飛んで行って居なくなったといいます。 だから皆さんも、大変な時は、一人でやるよりみんなでやった方が効果が抜群なのです。

東の側に立ってやったから、イナゴの大群が西へ向かって行ったという、そういう話が残っております。ですから祓いをするときには、三十二文字でやると良いと言われています。
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11月23日は、勤労感謝の日です。改めて、勤労感謝の日の意味を調べてみました。「勤労を尊び、生産を祝い、人々が互いに感謝する日」と書かれています。

外国の記念日については、あまり詳しくないのですが、外国では、仕事よりもバカンス・レジャーというお国柄の所もありますので、この「勤労」を「感謝」するということが国民の祝日になっている国は、日本の他には少ないのではないかという気がします。

実は「勤労」に対する考え方は、日本の大きな特徴です。

「働く事に、働けることに、感謝する。働く場があることも、働ける健康があることも、ありがたい事だと感じる国民性。しかし、このことが今かなり薄れているように感じます。

「働け!働け!寸暇を惜しんで働け!」の時代から、「よく働き、よく遊ぶ」になり、今は「シブシブ働き、嬉々として遊ぶ」となり、さらには「働かなくても、生活保護」という気持ちの人まで増えてきている時代です。自分一人がどうこうではなく、世の中全体の流れがそうなっていると、それがいいことのように麻痺してしまいます。それでよいのだと。

しかし勝ち残り組は、決してそうではないのです。数は少なくても、「こんなにやるのか」と驚くほど真剣に働いている人はいますし、その結果、良い仕事、良い成果を出して大きく伸びているところもあるからです。

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今日は、七五三の大事な意味をお話ししたいと思います。
十一月十五日は、七五三のお祝いの日です。

七五三は、七歳(女の子)・五歳(男の子)・三歳(男女ともに)の時に行ないます。

満年齢か、数え年かとよく尋ねられますが、それはどちらでも大丈夫です。いつも満年齢でお祝いをしている人は、満年齢でされればいいですし、数え年で祝い事をしてきた方は、それでも大丈夫です。ただ数え年と満年齢の両方で二回は出来ませんので、どちらかに決めて行なって下さい。    

三歳は『髪置き』と言います。ようやく髪が揃ってくるという事ですね。そして五歳の時は『袴着』、七歳は『帯解け』と言います。三歳の時は男女共に、五歳は男の子のお祝い。七歳は女の子のお祝いです。

七五三の時に、神社に行くときには、正装していきます。
男の子は、五歳の七五三の時に羽織、袴や子供用のスーツなどを身につけ、女の子の七歳の七五三に、子供用の振り袖やワンピースなどを着てお参りします。




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前話で、「神様の所には、身なりも心も正して立つ」とお伝えしたところ、「家族で旅行の時や、毎朝の散歩の時に立ち寄る時にも服装を正した方がよいのでしょうか」というご質問がありました。

正しくは、そうです。なぜなら神様は、常に正装をしておられるからです。
しかしたとえば農作業をしている方が、作業の前後にご挨拶に行くときなどは、作業着でも少しも失礼ではありません。

また毎朝の散歩の時には、途中汗をかいたりもしますし、背広などは着るのは面倒かもしれません。

ただこの場合は、あなたの心の中で「どちらが主になっているか」が大事になります。健康のために毎朝散歩をする、そのついでに神社にお参りするのか、毎朝、神社にお参りに行くついでに、散歩など健康によいことなどをさせて頂くのか。どちらでしょうか。

形は全く同じなのですが、自分の中でどちらが先か、どちらが主であるかで、神様の扱いは全く異なってしまうのです。それは家の戸を開けて会って頂けるか、門前払いを食らい、顔も見せて頂けないかくらいの違いがあります。

神社に行くのですから、建物としてのお社や、樹木などは見ることが出来ます。写真も撮れます。しかしあなたがお参りしたときに、その中から神様は顔を見せて下さっているでしょうか。

何かのついでに、神社にお参りに行くということは、「ついで参り」といって、神様から相手にしてもらえません。実は、私も体験がありました。法律の講座を持っているときに九州のいくつかの大学にその案内の為に出かけた時のことです。そしてせっかくここまで来たのだから、お参りしていこうと足を伸ばしたのですが、神前に立ってご挨拶をしようと思った途端に「ついで参りは、不要」と断られてしまったのです。

「えっ?、せっかくここまで来たのだから、お参りしていこうとお尋ねしたのに・・」と思いましたが、その時にはそのお言葉だけで全く神様はお姿をお見せ下さいませんでした。

これは後で、行く前に思いを切り替えるべきだったのではと気付きました。この神社にお参りをするのが主で、そのついでに九州の大学にパンフレットやポスターなどを届けるのだと。予定を立てたのは、大学に行く方が先であったとしても、主に行くのはどちらであるのか、ついでに行くのはどちらかを自分の気持ちの中で切り替えて伺えば良かったのだと思います。そこを曖昧にして行くとついつい仕事や、他の用事の方が主になってしまいます。私もその時に、神様から厳しく拒絶されてはじめて気がつきました。

また服装の点ですが、散歩の身なりでも神様の所にご挨拶をと、清々しい顔をして参道を通り、ていねいに一日のご挨拶をされている方もいらっしゃいます。心が神様の方にまじめに向いていれば、決して失礼にはならないと思います。

私も、神社参拝の後で山に登るようなときには、山登りの服装でお参りします。もう十年以上も前になりますが、鹿島神宮にお参りしてから、筑波山に登ったことがあります。筑波山は、麓にもいざなぎの神様、いざなみの神様をお祀りした筑波山神社がありますが、山頂の男体山、女体山までお参りしたいと思いました。

鹿島神宮では、雨の中、登山の服装の上に、レインウエアまで着てのお参りでしたが、なんとそれを離れた所の社務所から見ておられた宮司様がわざわざ雨の中傘を差してお迎えに来て下さいました。

そして「よろしければ、お茶でも如何ですか」と声をかけて頂きました。
それ以来親しくおつきあいをさせて頂いていますが、「なぜあのときに雨の中、ずぶ濡れで、それも登山の服装で、身なりを正していたわけでもない私達に声をかけて下さったのですか」とお尋ねしたところ、「それは、特別なことで来られた方だと思ったからです。とても真摯なお参りの仕方で、個人の願いごとではなく、国家のこととか、なにか大きなことでお参りに来られた方に違いないと思いました。」とお答え頂きました。

「あんなに離れた所からでも、分かるのですか」とお聞きすると、
「それは分かります。普通にお参りをしている方と、特別なことで来られている方は、一目で分かります。」とお答え頂いたのでした。

その方は、現在の鹿島神宮の名誉宮司で、伊勢神宮の前回の式年遷宮の時の祭儀部長として祭儀の総責任者をなさられた上野貞文様です。
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